出来レースはある、が、すべてではない
前回は、jrecinの任期についてを紹介した。
今回は業界のタブー(?)公募の出来レースについて紹介する。
公募の出来レースはあるのか?ないのか?
これに関しては、闇深い問題である。私の体感でしかお伝えできないが、出来レースはある。結構ある。
なぜ出来レースになってしまうかというと色々な原因はあるが、やはり現任の教授がかわいい後輩を入れたいということだろう。
子どもがいる人はわが子、部活動のかわいい後輩、近所の年下のかわいい子などを思い浮かべてほしい。長い間、面倒をみて、楽しいこと、辛いことを共有した仲だ。
時には説教したり、しかったり、時にはごはんを一緒に食べた仲だ。
そんなかわいい存在が困っているとしよう。そしてそのかわいい存在を自分が助けることができるとしよう。
これ以上は言うまでもないことだが、こうして出来レースの子弟の人事が決まっていく。
あとは、知っている人と働きたいという人間の心理だろう。私も知っている人、知らない人、どちらと働きたいと聞かれれば、「(優秀な)知っている人」と答えるだろう。
なんせ大学教員は狭い世界で、とても少ない人数の仲間たちと業務を行う。昔のような教員各自の個人主義は通用しないだろう。そうなるとチームプレイが要求されるわけで、チームは知っている人と組みたいとなっていき、出来レースが顔を出す。
出来レースの見分け方
募集期間
通常、募集期間は2-6か月くらいと長い間募集する。
退職に伴う人事は計画的であるため、ゆとりをもって募集期間を設定することができる。まあ、きっとその方が良い人材が集まるのでは、という思いからだ。
しかし、出来レースの場合は短い
例えば、2週間程度だ。仮にjrecinに掲載されていてもほとんどの人が見ない間にひっそりと掲載が終了する。
不自然な条件
出来レースを正式な公募とするための条件付けのためだ。
例えば、
自然科学系の助教を募集していて、条件が「保育士必須」
もしくは、
日本文化系の助教を募集をしていて、条件が「生理学に精通していること」
などである。この条件が本当の場合もあるが(あるか?)、ほとんど場合、採用する人の特殊スペックに合わせた要件となる。
ガチ公募だと、業績で負けてしまう場合があるので、業績以外の部分で採用する理由付けが欲しいのである。
なんだこの条件は?と思ったらそれは出来レースの可能が高い。しかし、大学の変革期で変則的人材が欲しい場合もあるので要注意だ。
出来レースに負けない方法
そもそも、こんなご時世に出来レースをしているような閉鎖的な文化の大学になんか行かない方が良い。
ガチ公募でガチで採用の方がかっこいいじゃないか。
そして、出来レースなんかに負けない方法は論文の実力でねじ伏せることである。
結局、大学教員の使命に回帰するのだが、原点は論文で新たな知見を求めることだろう。
「なんだ、そんなことは聞きたいことじゃない」と思われるだろうが、これしかない。良くも悪くも。
私のケースと周りのケース
で、お前は出来レースなのか正当な教員公募だったのか?ということが気になると思う。
私は出来レースではなく、正当な公募だった。
参考程度に私の周りを伝えておくと出来レース40%、公募60%という体感である。
ちなみに入職後の満足度は公募の方が圧倒的に高い様子である。
これはおそらく出来レースではいると、恩着せがましく様々な業務を振ってくるのだろうと勝手に推測している。
次回は受かる履歴書の書き方について紹介する。